世界遺産 龍門石窟見物
洛陽では、中国三大石窟である世界遺産「龍門石窟」を短い時間しか見れなかったが、大陸の世界遺産は日本とはスケールが違うなと感動させられた。
世界遺産「龍門石窟」を見た後、洛陽の都散策もしたかったが、窮屈な旅のスケジュールの都合上西安で泊らねばならなかったので土砂降りの中、駆け足で洛陽龍門駅へ向かい、西安行和諧号「G2009」に乗り込み、黄土高原を時速300km/h以上のスピードで駆け抜けて西へ350km離れた西安に夕方到着した。
日本でいうと東京ー名古屋間ぐらいの距離を、中国の中原でも2時間ぐらいで移動できる時代になっていた。
約1000年以上も前に出来た物を見るのに、最新の技術で造られた人工物に乗って行く事が出来て私の好奇心は十分満足させられた1日であった。
龍門石窟とは
洛陽の郊外市中心から10~20km程南に位置し、黄河の支流伊河の畔の断崖に洞を掘りその中や外におよそ10万体の細やかな細工の石像が彫られた仏教遺跡である。
時代は北方騎馬民族鮮卑族が中原を支配していた北魏代、孝文帝が都を平城(大同)からは洛陽に494年に遷都した5世紀から唐の時代9世紀にかけて彫られ続けた。
中でも唐の時代に完成された廬舎那仏像はその大きさ、緻密な彫刻、柔らかな表情を持っ。中国三大遺跡の一つでもある龍門石窟のシンボルと言えばこの石像となる。
作成期間4世紀に跨る長い期間をかけて造られた遺跡なので、早期北魏代の頃、後期唐代の頃の作とでは仏像の表情、緻密さが時代を経て大きく変わる。
中国での仏教文化の昇華具合が見て取れる。
3日目の予定 (2010年7月24日)
- 広州から寝台特急T98に乗って鄭州で乗換
- 鄭州駅で洛陽行の高速鉄道チケット購入
- 鄭州駅から高速鉄道G2003に乗り洛陽へ
- 洛陽龍門駅で西安行の高速鉄道チケット購入
- 世界遺産龍門石窟見物
- 高速鉄道G2009に乗って西安へ
- 西安 鐘楼・鼓楼見物 本日最初の食事が超激辛麻婆豆腐
世界遺産 龍門石窟見物
タクシーに乗っている時から雨足が強くなり、龍門石窟に着いたころには土砂降りになっていた。
みやげ物店で10分ぐらい雨宿りさせてもらい、お礼に水とオレンジジュースを調達。
午後1時30分頃
雨が小ぶりになってきたところで、参道のような道を歩き龍門石窟へ向かった。
洛陽は牡丹で中国で有名なところ
どうせ来るなら5月に来て合わせて牡丹も見ていきたい
時間に追われているとあまりお腹がすかなくなるみたいで、朝から何も食べていないのに気がついた。
通り沿いにはリャンピーやら、刀削面などが食べれる食堂があって入るか迷ったが帰りに時間が余ったら食べる事にした。
龍門石窟の入口はこの先300Mぐらいのところ。
男も女もみんなポーズを決めて記念撮影。
雨が前から降り続いていたのか、川が濁って水量が多い。
拝観料は120元! 日本円で約1500円
日本人の金銭感覚でもちょっと高い、現地の人にとってはどうなんだろう。
世界遺産とは、外国の観光客や金持ち中国人しか見れないようなものだろうか?
それとも現地の人は別価格があるのかな
当日の観覧順序
潜渓寺 → 賓陽三洞 → 摩崖三佛 → 敬善寺洞
→ 万佛洞 → 蓮花洞 → 奉先寺洞 ・観光終了・洛陽龍門駅へ
夜7時からライトアップされるみたいです
龍門橋
水位がかなり高い、道路から1mぐらい下まできている。
大丈夫か?
門の中が入場ゲート
入場券は係の人に渡して、改札機に入れて通してもらう。
何の為自動改札機を置いているのだろうか?
入場ゲートをくぐるとすぐに石窟群が始まる
午後2時30分頃
龍門石窟世界遺産モニュメント
これを一度撮ると世界遺産コレクターの始まりとなる
潜渓寺・賓陽三洞・敬善寺洞・摩崖三佛
階段を上がっていくと洞が並んでいて賓陽三洞と潜渓寺があります
賓陽三洞とは賓陽北洞と賓陽中洞と賓陽南洞陽の三つを称していいます。
一番最初に見た洞
仏像はかなり破壊されていて残念です
第104窟 賓陽北洞
製作が550年から683年、完成した時は唐の時代
時代が変わり造る意義がなくなり休止期間があったりして長くかかっている。
崖に単に穴を掘るだけでも時間がかかるのに、狭い穴に大勢の職人が入って作業をかかれる訳はないし、この地域の固い岩を精密に彫らないといけないのだからそりゃあ時間はいくらでもかかるだろう。
ピースサインをのんびりしている洞の主は阿弥陀仏
第140窟 賓陽中洞
洞窟の中を覗き込むように観覧して行く
製作が500年から523年、北魏の時代に完成したのは賓陽三洞のなかで賓陽中洞だけだとか
23年だとよっぽど順調にいったほうなんだろうな
真ん中の像には頭の部分がないですが、なんと東京国立博物館にあるそうです
洞の主は釈迦牟尼仏
中央アジアあたりの顔つき
ここの洞だけではなく、龍門石窟全体に於いて言えるのだが、像は破壊されたり、頭の部分を削り取られた体がかなりあった。
文化大革命の時に破壊されたり、盗掘などで盗み取られたそうだ。
破壊以前の姿を撮った写真など残っていないのだろうか、破壊前の写真を展示した展示館などが場内のどこかにあればよいのになと思った。
敬善寺洞
ここの洞の外にはユニークなコンビが見守っています
ここ見てね!
いいね!
私が弥陀仏如来です
摩崖三佛
通路横に並んでいる7体の仏様は格好の記念撮影ポイント
観光客でも乗れるのかな?
乗る事が出来ても乗りたくないが
万佛洞・蓮花洞・奉先寺
第543窟 万佛洞
階段を上がった所が万佛洞があります
万佛洞は阿弥陀様を中心に大小1万5千もの仏様が唐代7世紀後半に造られました
唐時代の作になると日本人にもなじみのある顔つきになってきます
これはちょっと中の石像とは作った時代が違うのかな
観覧通路から見上げる所にある名前の判らない趣のある石像も多数あります
中央は廬舎那仏かな、奉先寺の廬舎那仏を小さくしたような感じ
第712窟 蓮花洞
万佛洞を見て階段を降り隣にある蓮花洞へ向かう
北魏代525年から527年所造と書いてある。
所造と言う言葉がちょっと解らない、完了形で僅か3年で出来たのか、或いはその前から製作にかかりだして完成したのがその期間なんだろうか?
とにかく北魏末期の頃の作だということだ。
天井にはこの洞の名前の由来となった蓮花が彫刻されてます
面白い石像ですがどこで撮ったか思い出せません
第280窟 奉先寺洞
いよいよ龍門石窟を代表する奉先寺洞を廻ります。
写真真ん中の階段を上がった壇上に石像群があります。
672年から僅か3年後の675年に完成したという、本真かな。
これだけの石像群を重機もなしで、最後に精密な仕上げが必要なのに不思議だ。
緻密な彫刻と規模でも龍門石窟の中では抜けています。
初めて見た時には石像群の大きさと精巧さに度肝ぬかします。
センター廬舎那仏の大きさ高さは5,6階の建物とほぼ同じの約17m。
東大寺の大仏も廬舎那仏
全然似ていない。
なにせこちらのモデルは唐代中国史上唯一の女帝として君臨した則天武后
中国ドラマでは美人女優が演じているほどだから、容姿は今の時代の人間が見ても穏やかで美しく造られている。
パンチパーマとは一緒にしてはならない。
彫刻士たちが製作には命がけで造ったに違いないのだから。
もし則天武后が気に入らない出来だったらそばを流れている伊河に死体となって流されるか、崖から突き落とされるか悲惨な最期を向かえるのは必至だったろう。
彫刻師たちの魂の籠った作品はその甲斐もあり則天武后にも喜ばれたであろう、2000年には世界遺産にも認定され世界中の人たちの目にも止まるようになった。
一番右が釈迦の十大弟子の阿難、隣が菩薩
一番左が釈迦の十大弟子の迦葉ちょっと破壊が酷いです。
隣が菩薩
不思議な事に菩薩は左右両方とも無傷なのは意味があるのだろうか?
子供は何を思って見上げているのだろうか?
廬舎那仏の次に目を引くのがこの石像
壁から飛び出してきそうな雰囲気がある
彫刻師にとって会心の出来栄だったろう
ここにある石像はどれも出来栄えが素晴らしく
素人の私が見ても惚れ惚れします。
GOE最高点を出してあげたいです。
南門
雨はやんでいる時もあったが、ほぼ1日降り続け雨足が衰えず、時間が進むにつれさらに激しくなった。
西安行の電車の時間(17時J45分洛陽龍門発)も気になり始めたので、対岸にも見所はあったが早歩きの龍門石窟観光はこれにて終了。
雨合羽を着ていたが全身ビッショリ。
早く着替えたい。
午後4時00分頃
南門をくぐると対岸に渡る橋があり対岸に渡ってから帰る事にした。
山水画のようなという表現は通り過ぎて日本なら河川氾濫警報発令
伊河を挟んで約100mほど離れているかな、廬舎那仏の大きさがわかる
橋を渡った所には電動バスが待機していた
電動バスで参道の入口あたりまで乗っけてもらった。(有料です)
川の水はマジで凄い事になっていた。
この時はそれ以上の事は想像出来なかったが、帰国後ネットで龍門石窟を調べてビックリした。
大雨がその後も降り続き3日後の7月27日この地方で水害により多くの人が亡くなり、
伊河は氾濫し水は道路を越え龍門石窟の下ぐらいまで水が上がり閉鎖されたとの事だ。
3日目③へ続く