2010 中国横断列車旅と世界遺産巡り 四日目 西安② 兵馬俑見物

兵馬俑見物

4日目 西安・兵馬俑
ついに念願叶ってこの目で見ることができた兵馬俑。
日本語ガイドの孫さんに案内していただき、とても楽しく見て廻れました。
兵馬俑を見たまではよかったのですが、西安駅では苦難に見舞われた。
上海行き寝台特急Z94が天候異変により、出発時間が大幅に遅れ、17時出発のはずが、深夜1時半に西安駅を出発する事になった。
言葉の通じない地では、ちょっとした事がわからなくて、大変な事態に発展して行く可能性があるという事を、身に染みてわかった。

4日目の予定 (2010年7月25日)

  1. 鐘楼の近くにあるホテル周辺朝の散歩
  2. タクシーを拾って秦始皇兵馬俑博物館へ
  3. 世界遺産兵馬俑見物 日本語ガイド付き
  4. 兵馬俑博物館から西安駅へ
  5. 上海行寝台直達列車Z94遅延により西安駅で9時間待機

西安市内からタクシーで秦始皇兵馬俑博物館

この運転手、相当話好きみたいで、しきりに中国語で話しかけてくる。

フリーの話題になると知っている単語が少ないので、全然何を言っているか聞き取れない。

知っている中国語を使って返答するが、発音が悪く伝わらない。

兵馬俑に着くまで、お互い「听不懂」チン ブ トンの連発になった。

秦始皇兵馬俑博物館到着

大長今チャングムが出迎えられる

午後1時、兵馬俑博物館に到着する。

結局、高速道路を使って1時間かかった。

帰りはバスで西安駅まで行くことにする。

昼飯の時間だが、飯を食う余裕がない。

西安駅17時発の列車に乗るから、16時ぐらいには西安駅に着かねばならず、15時には見終わって、ここを経たなければならない

午後1時00分頃

兵馬俑博物館は左となっているので、左方向に行ったのだが

中国の内陸部は暑い、感覚的に30度越えと湿度70%は越えている

兵馬俑博物館入口へと向かう

秦始皇兵馬俑博物館入場門

入場門はこの写真のとおりあったがチケット売り場がどこを探してもない。

普通は入口の近くにチケット売場がある筈なのだが、仕方なく来た道を戻った。

秦始皇兵馬俑博物館入場券売場

引き返して先程の標識を見て反対側のチケット売り場へと向かう。

結構離れているからチケットを買ったらまた戻らなければいけないかと思うと気が重くなる。

チケット売場を発見、貴重な時間を浪費する。

チケットを買おうとしていたら、「ガイドはどうですか」と、いきなり日本語で話しかけられたのでビックリした。

最初は「不要」と言って断ったが、値段が100元と聞きこれぐらいの金額で2時間で効率よく案内してくれるならいいかと思いお願いする事にしました。

ガイドさんの名前は孫さん。

「私の名前はスン(孫)です。孫吾空の孫です」と挨拶してくれた。

日本人が知っていることを、勉強しているようだ。

秦始皇兵馬俑博物館入場券売場側入場門

入場料は90元(2010年当時)

どうやら入場門は2つあって、向こう側にはチケット売り場がなく、こちら側にはある

なんかよくわからない。

秦始皇兵馬俑博物館入場

秦始皇兵馬俑博物館

秦始皇兵馬俑博物館1号館

秦始皇兵馬俑博物館1号館

まずは1号抗から入った。

3号抗まである中で最大の規模で、兵馬俑が発見された所がある館です。

秦始皇兵馬俑博物館1号館

1974年春、村民がここで井戸を掘っている時、偶然兵馬俑の破片が発見されて、役所に届けたそうです。

ことの重大さは中央政府にもすぐに伝わり、過大な保護を受け整備されていった。

世界的に貴重な文化財の発見により西安市には莫大な観光収入が入り、発見した人物は秦の始皇帝とともに英雄と崇められることになった。

なにしろこの人が井戸をこの場所で掘らなければ、今も土の中に埋まったままなのだから。

秦始皇兵馬俑博物館1号館

赤の矢印のあたりがその発見場所

秦始皇兵馬俑博物館1号館

兵馬俑の総数は約8000体があるいわれている。

現在では1個師団ぐらいだ。

部隊の配置が、当時の実戦形式と同じ配置していることがわかり、当時の戦い方を知るのに大いに役立ったそうだ。

秦始皇兵馬俑博物館1号館
秦始皇兵馬俑博物館1号館

兵は全国から徴兵されていて、様々な顔をしている。

瞼は当時一重まぶたが流行りみたいで、一重しかいないらしい。

それから全員髭をはやして、お腹が出ているほうがよいとか。

孫さん「みんなメタボ、わざとベルトをお腹の下で締めてお腹を出していました。」

「平均身長182cmとても大きかった」

秦始皇兵馬俑博物館1号館
秦始皇兵馬俑博物館1号館

造りは凝っていて、一体ずつ細かな部分まで表現し、同じものはどれ一つない。

ただし完全に復元されたものはあまりないように思えた。

どこか欠けていたりしていた。

秦始皇兵馬俑博物館1号館

このへんの最前列の兵は突撃部隊で、身分が低く武器をもたないで素手で戦っていたそうだ。

かわいそうに消耗品扱いだ。

続いて弓兵、歩兵などが続く。

秦始皇兵馬俑博物館1号館

館内は薄暗いのでフラッシュ撮影する人が多い。

自分「フラッシュは駄目なんですね?」

孫さん「ええ、そうなんですけど、みんさん使ってますね..」

守衛の人がいるが、注意などしていない。

あまり規則に縛られることがない自由な国だ。

秦始皇兵馬俑博物館1号館

各国の首脳がよく来られたそうだ。

フランスの元大統領シラク、ロシアのプーチン、そして日本からも福田元総理も訪れたそうだ。

米国元大統領クリントンも来場され、中に入れさせてもらったそうです。

孫さん「馬に蹴られたらどうしよう。とか言って喜んでいました。」

秦始皇兵馬俑博物館1号館

以前に兵馬俑を盗んだ人がいたそうだ。

孫さん「国の宝物を盗んだ人は、香港で捕まり死刑になりました。」

淡々と話していた。

孫さん「兵馬俑が好きなドイツの青年が中に入って誤って破損させたこともありました。」

自分「その人も死刑ですか?」

孫さん「いいえ、その人は注意されて、帰されました。」と笑いながら答えていた。

自分「そりゃそうでしょうねぇ。」

秦始皇兵馬俑博物館1号館

孫さん「調査修復の済んだものには、一体一体ID番号が付けられます。」

秦始皇兵馬俑博物館1号館

主に軍隊は当時最大の敵がいた東へ向いている。

四方にも向いている部隊があって、側面からの攻撃にも備えている。

秦始皇兵馬俑博物館3号館

秦始皇兵馬俑博物館3号館

ほんとは、もっとじっくり眺めていたかったのですが、時間がないので、人ごみの中をスイスイ行くガイドさんの後を追うように3号抗へ入りました。

ここは現在で言う司令部だそうです。

祈祷も行われていたそうです。

今から2200年前でこんなシステムを構築していたとは驚きです。

秦始皇兵馬俑博物館2号館

秦始皇兵馬俑博物館2号館

3号抗はすぐに出て、2号抗へ入りました。

2号抗も1号抗ほどでもないが、匹敵するぐらい広い。

2号抗は、ほとんど発掘が進んでおらず、全体の1/3のほどしか発掘してないそうです。

保存技術が進歩すれば本格的に発掘をして、着色の残っている兵馬俑が見れるようになるだろう。

秦始皇兵馬俑博物館2号館
秦始皇兵馬俑博物館2号館

発掘されたばかりの時は色が着いていたが、空気に触れてすぐに消えていったそうだ。

着色の再現はかなり難しく、黒色は特に難しいと言っていた。

秦始皇兵馬俑博物館2号館

こちらは弓兵

秦始皇兵馬俑博物館2号館

こちらはかなり位が高い武将

秦始皇兵馬俑博物館2号館

さらに位が高い武将。

このようにお腹が出ている。

靴の先が反り返っているのは身分の高い武将。

高いほど身分が高いそうだ。

秦始皇兵馬俑博物館2号館

これは立ったまま弓を射る弓兵。

通称カンフー俑「ジャッキーチェーン」

秦始皇兵馬俑博物館2号館

発掘された時は、兵は武器を持っていたが、そのままだと俑が変形するので、武器は取り除かれて別に展示されている。

ほんまもんの武器だからかなり重いらしい。

秦始皇兵馬俑博物館2号館

これも弓兵だろう。
孫さん「これは堀内孝雄」
どこからか日本人向けのネタを仕入れているみたいだ。
他に島田伸介似の俑もあったが、写真を取り損ねていた。

秦始皇兵馬俑博物館2号館
秦始皇兵馬俑博物館2号館

孫さん「これは、ニセモノ」

秦始皇兵馬俑博物館2号館

最後に総合陳列楼へ入った。

兵馬俑博物館の中で一番凝った造形の青銅製馬車が展示されていた。

1号車、2号車とあったが、そのうち1台はレプリカ。

孫さん「これは偽物です。本物は上海万博へ行っていますので、明日見てください。」

自分「中国館は無理です。」

本物かレプリカか知ってか知らないか、たくさんの人でまともな写真が撮れなかった。

この日はとても蒸し暑かった。

自分「今日は凄く蒸し蒸ししますね」

孫さん「ムシムシ?」

自分「今日はタイ・ルー・ラ」

孫さん「暑くて死にそうだー。」と言って笑っていた。

そういうニュアンスがあるとは知らなかった。

お茶目な孫さん。

予定通り15時に見終わり、バス停まで案内していただいた。

どのバスに乗るのだろうと思っていると、ちょうど通過しようとするバスを手を振って止めてもらった。

楽しく案内していただいた孫さんとは、ここで100元支払ってお別れしました。

ほんとうはガイドが終わったら、お金を支払っておくべきだったのですが、孫さんと話しをしながら歩いていたら、バス停まで来てしまった。

まじめで日本の情報も仕入れていて、とても感じのいい人だった。

午前15時00分頃

兵馬俑博物館から915路バスで西安駅へ

バスは日本でマイクロバスと言われるやつ、西安駅行の”915路”

途中、車掌さんが「○◎(バス停名)・シヤー・リー・マー」と声を張り上げていた。

降りたい時は、この時手を上げるか、声を上げ意思表示しないと素通りされてしまう。

西安は餃子が名物と言う情報を得ていたので、孫さんに餃子屋さんはないかと尋ね、連れて行ってもらった店で買ったのだが、2度上げしたかのような硬さで今一だった。

西安名物の餃子は水餃子で、揚げ餃子や焼き餃子ではなくこちらは鍋貼(グオティエ)と言われ別のものだった。

915路バスは高速道路を通り、下道を渋滞に巻き込まれず快調に走った。

車窓から西安の郊外の街並み

まもなく西安駅

4日目③へ続く

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